今日からブログを始めます。
テーマは「自分を大事にする」

 

このHPの名前、そのものですが、それが一番、今、私がやりたいこと。

ずーっと誰かのために生きてきて、私はどう感じているのだろう?私はどうしたいのだろう?

そう自分に問うても、答えが出てこなかったのです。誰かが私に対して「あなたはどうしたいの?」と訊かれても答えられませんでした。最近は言えるようになりましたが、それでもこうなりたいというイメージがなかなか湧きにくい人でありました。

昨日、友人の朝岡幸子のシータヒーリングを受けました。https://www.facebook.com/sachiko.itoasaoka/

時々、彼女のシータヒーリングを受けます。

私は自分が一番欲しいものがわからないことに気づきました。欲しいものとか願いとか言えますよ。でも、実はほんとおーーーに欲しいもの、一番欲しいものは言わずに、いつも二番目、三番目に欲しいものを、「これがいいの」「お金の範囲でこのぐらいがちょうどいい」と言い聞かせていました。長い間、それをやっているうちに私はじぶんが一番欲しいものがわからなくなっていました。
それは母がいつも「お金がない」と言っているのを聞いていていたからです。我が家の家計を気にして欲しいものを欲しいと言えませんでした。

大学は国立に。(下に弟がいたのでできるだけ安く学べる大学で通える範囲で)

成人式の晴れ着は黒のスーツ。北海道出身の両親が転勤先の富山で成人式をしたのですが、富山は豪華な振袖を着る文化があります。「あんな振袖は高くて買えない。富山はねえ。。」と母。それを聞いていたので、私は自ら「黒のスーツでいいよ。これだと後からも色々着回すことができるし」と言っていました。自分に言い聞かせていましたね。

いつの間にか母が言っていた「お金がない」という口癖は私の中に取り込まれ、独立して関西に住み始めた時にも、何か買う時「お金がないから」と自分で制限をかけて2番目に欲しいもの、3番目に欲しいものを選んで、「このぐらいで十分だから」「足るを知るだから。今あるもので十分だから」と一番願っていることを言うことをしなくなりました。

だから、結婚式に着るウエディングドレスやお着物も、お色直しはしませんでした。

婚約指輪も欲しかったけど、先輩に勧められて買った指輪(私のためではなく、買わされたらしい)だったし、新婚旅行はありませんでした。

新婚初夜は、夫は同僚と飲みに行ってホテルに夜遅く帰ってきて、気づいた時には出社してくると一人、職場のみんなからプレゼントされたホテルのスイートルームにポツンと一人取り残された。夫からは大事にされなかったですね。

それは私の中に本当に欲しいものを言わないからでした。

夫に言ったとしても理詰めで「それは違う」とぐーの音が言えないことが多く、さらに自分の気持ちや願いが言えなくなりました。

私は自分が一番欲しいものを言うことを許可しなくなっていたのですね。だから、そういう人が夫となって現れたわけです。自分の内側が、そういう人を引き寄せる。

それに昨日のシータヒーリングで気づきました。呆然としました。涙が止まりませんでした。

母の気持ちを察して、勝手に自分の一番欲しいものを言わないようにしているうちに、願うことすらできなくなっていた。願いを言うことを自分に許可しなくなっていた。

ふと気づくと、スーパーに買い物に行き、食材を買う時にも同じことをしてました。

「今日はこれが食べたいなー。でも、ちょっと高いし、カロリー高そうだし。これで我慢するか」と頭の中ではそんな思考がぐるぐる回っています。本当に食べたいものではないもので、カゴがいっぱいになっている。いつも代替案、代替案で自分をごまかしているうちに、自分がわからなくなってくる。選択したものをこれでいいんだと納得させる言い訳をする。

自宅に帰って買ったものを広げると、「あれ?これ食べたかったんだっけ??」
そんな人生を何十年って続けてきました。このまま「こんなもの食べたかったんだっけ?こんな生活をしたかったんだっけ?」妥協だらけの人生を生きていいの?

だから、私は今日から一番欲しいものを願います。それを口に出します。

あとはそれを叶えてくれるのは宇宙なので、私は本当に心の底から欲しいものを願います。そうすることを許可します。

私は安心してパートナーと共に生きること。安らぎと喜びと豊かさとともに。

 

以下の写真は2004年、アメリカのミネソタ州にある国立公園の中でカヌーで旅を1週間した時の写真。この時は本当にこの旅が行きたくて、会社をぶっちぎって行ったっけ。

 

カテゴリー: 自分

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